かな その32024年01月02日 21時51分30秒

その2より続く。

いきなり正月気分吹っ飛んだ。
大阪でも揺れたのである。
妙な感覚だった。
前にも書いているがヘルペスの関係で揺れていると思ったが実際には揺れていなかった。
つまりは揺れていたのは俺だったというオチ。
ヘルペスは抹殺不可能なのでめまいは直らない。
その前の状態にも戻っていない。
よって今回もそう思ったのだ。
しかし、ザクも揺れているのだ。
今回は揺れているのは、俺ではなく地面だということ。
その時には被害状況は不明なるも、尋常ならざる状態と思われた。
翌日に被害が明らかになりつつ。
元々、地震多い所に原発。
日本で原発作れるような場所があるのか、などと思ったのだ。

実に恐ろしい状況だが、それだけでは済まなかった。
羽田。
衝突ってどういうことや。空中?
実際は地上。そんなことがあるのか。
現時点では原因は不明。

恐ろしい事故だが、別の意味で恐ろしいと思った。
それに乗っていた客の話。
その客に非は全くないのだが。
その時の状況のコメントを聞いてビビった。
”やばいのかな”
外から見ていても尋常ならざる事態なのは間違いなく、生きるか死ぬかの状態だったはずだ。
自分が死ぬ可能性高い状況でそれが分からないのか。
こういうことを書くと、問題かもしれないが事故とは別の恐ろしさを感じた。
そう思った理由はまだある。
別の客かもしれないが、そんな状態で動画撮影していたのだ。

親が倒れて救急車呼ぶ時に、冷静だと思っていたが自分で何を言っているのか分からない状態だった。
俺なら同じ状態になったら、そんなことはしないし動画撮影どころではない。
いかなる時も冷静沈着ゴルゴ13。
それならいいが、絶対そうではない。
危険を危険でないと思ったのではないか。
逆に、全員が危険を認識しなったからパニックにならずに脱出できた。
そうとも考えられるのだ。

怖くないということが、格好いいとされる。
世の中には程度の大小は別にして、危ないことが多々ある。
怖いと感じずに行動すれば、簡単に死んでしまう。
怖いと感じることは危険を察知するということなのだ。
このような状況での動画撮影は他にもある。
最早、日本人は自分自身の危険も分からないようになったということに恐ろしくなったのだ。
つまりはそんなんばかりになって、日本は終わっているということだ。

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