静岡トランポツーリング~ヤマハレーシングヒストリー前編 ― 2009年09月01日 23時40分44秒
スズキ歴史館 から移動して次は磐田のヤマハコミュニケーションプラザに向かう。
ここには2003年にYZR500展で来ている。それ以来である。
営利活動を目的とせず、ヤマハの宣伝/イメージアップのために存在していると
思われるので無料である。そのため週末の開場には制限がある。
金払っていつでも見るのことができるのがいいのか、無料だが制限ある方がいいのか?
判断が難しいところである。
ヤマハレーシングヒストリーの企画展やっているのは知っていた。
Q車である前期編も見たいと思ったのだがタイミングの都合で諦めたのだ。
四輪駐車場完備である。駐車場は車高制限2.8mとハイルーフ車でも難なく止めることができる。
建物の外にはFZ1の軍団が。オーナーズクラブの会合の場所としてもメジャーなようだ。
帰りにはTRXの軍団もいた。
会場の入口。
展示の全体。これで全てではないがそれほど面積は広くはない。
とはいえ展示内容が薄いわけではないので心配無用。
YZR250 1986 平。実際WGPで優勝している。
TZ250M 1993 原田哲也。全日本チャンピオンであったが、GPには
デビューレースでいきなり優勝しそのときにチャンピオンに輝いたのを思い出す。
YZR250 2000 中野真矢。ニッシン6ポットキャリパーやPVMホイールなど
今となっては珍しい部品が使われているのが興味深い。
YZR500 1992 レイニー。この頃にはかなり現代的な作りとなる。
YZR500最終型 2002 阿部。
TZ125 1994。デビューシーズンで全日本125チャンピオンマシンとなる。
YZR-M1 初期型2002。マフラーのかちあげ具合が印象的。
YZR-M1 2004 ロッシ。ここまで来ると現行と大差ない。
FZR400 1984 全日本F3仕様。
XJR750R 1984 8耐仕様。クラッチ回りなどスペシャルな雰囲気が漂う。
YZF750 1987 8耐仕様。方持リアホイール採用。
次回に続く。
ここには2003年にYZR500展で来ている。それ以来である。
営利活動を目的とせず、ヤマハの宣伝/イメージアップのために存在していると
思われるので無料である。そのため週末の開場には制限がある。
金払っていつでも見るのことができるのがいいのか、無料だが制限ある方がいいのか?
判断が難しいところである。
ヤマハレーシングヒストリーの企画展やっているのは知っていた。
Q車である前期編も見たいと思ったのだがタイミングの都合で諦めたのだ。
四輪駐車場完備である。駐車場は車高制限2.8mとハイルーフ車でも難なく止めることができる。
建物の外にはFZ1の軍団が。オーナーズクラブの会合の場所としてもメジャーなようだ。
帰りにはTRXの軍団もいた。
会場の入口。
展示の全体。これで全てではないがそれほど面積は広くはない。
とはいえ展示内容が薄いわけではないので心配無用。
YZR250 1986 平。実際WGPで優勝している。
TZ250M 1993 原田哲也。全日本チャンピオンであったが、GPには
デビューレースでいきなり優勝しそのときにチャンピオンに輝いたのを思い出す。
YZR250 2000 中野真矢。ニッシン6ポットキャリパーやPVMホイールなど
今となっては珍しい部品が使われているのが興味深い。
YZR500 1992 レイニー。この頃にはかなり現代的な作りとなる。
YZR500最終型 2002 阿部。
TZ125 1994。デビューシーズンで全日本125チャンピオンマシンとなる。
YZR-M1 初期型2002。マフラーのかちあげ具合が印象的。
YZR-M1 2004 ロッシ。ここまで来ると現行と大差ない。
FZR400 1984 全日本F3仕様。
XJR750R 1984 8耐仕様。クラッチ回りなどスペシャルな雰囲気が漂う。
YZF750 1987 8耐仕様。方持リアホイール採用。
次回に続く。
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