節煙 ― 2009年04月22日 23時04分57秒
とある飯屋にて。
”節煙に協力を”の張り紙が。節煙とは珍しいな。灰皿も置いていない。
これだと普通は吸わないだろう。吸うなと言っても吸う奴はおるが。
中途半端に節煙とせず禁煙にしたらどうか?
煙草吸うために生まれてきたのではと思うような人々が多々存在する。
そういうのが数人まとまって入ってくると店の空気が一瞬で変わる。
文字通り雰囲気ではなく空気である(笑)。
当然一斉に点火。そして消した瞬間にまた点火。それの繰り返し。
昔はそれほど気にならなかったが今時の煙草は異常に臭いのだ。
味をつけるためにいろんな成分入っているためとされるがどうなのか?
飯屋、飲み屋、タクシーまたまた会社内でも狭い空間で吸われるとやたらと
鼻腔を刺激されてしまう。
花粉の季節は特に苦しい。
飲み屋が特に顕著であるが、ちょっと店にいると吸わない俺そのものが
異常に臭くなってしまうのだ。
酒臭いのと合体するとそれはもう最悪だ。
禁煙か分煙かどちらかにしないといけないという条例を神奈川県が作ろうとしたが
飲食店の反対によってつぶされてしまったことがある。
禁煙にすると客がこないという。
条例推進派、反対派いずれもこれが前提になっていたようだ。
ここで素朴な疑問がある。飯屋や飲み屋に客はタバコ吸うために来るのか?
そんな訳はないだろう。飲み食いするために来るのである。
タクシー業界でも同様である。
タクシー禁煙に反対する客がニュースで語っていた。吸える場所減ったので
吸うためにタクシー使うと。アホか!
昔と比べると吸う人間減ってきている。
逆に吸わない客はタバコが嫌で店に来ないということを考えたことはないのだろうか。
喫茶店では客の滞留時間長いこと多いため必然的に一人当たりの吸う本数も増える。
よって喫茶店にいくと喫茶店以外の飯屋より空気が悪くなる。
昼時にランチやっている店は多いが、そんな状況なので最近は喫茶店に行かない
ようにしている。飲み屋も避けることが多い。
完全に店内が禁煙となっても、吸うことが目的ではないため客が減ることはないだろう。
逆に避けていた客が戻って来ることも忘れてはいけない。
最初は反発して客減るとは思うが一時的でしかない。
飲み食いしたい客は絶対来るのだ。どうしても認められないなら家で飲み食いすればよい。
現に吉野家では全面禁煙となっている(店にもよるのか?)。
それでも普通に客が入っているのだ。
吉野家に来る客はタバコ吸わない人々だけか?そんなことはありえない。
店により時間指定し禁煙とするところ増えてきた。
いずれは全面禁煙となるのは間違いない。それがいつになるかだけのことである。
店内での喫煙が完全に禁止されている国もある。そこでは吸うため一旦店外に
出て吸うようである。
そういう例もあるのだから揉めたり、売上げが減ることもないだろう。
害があるのは誰でも知っている。
煙100%吸って(吐くのもダメ)、灰を出さず、火の始末を確実にし、くさい臭い
まき散らせなければいくら吸ってもらっても構わないのだ。
多額の税金を長年に渡り納めるのは多いに結構。
自分の出した煙、吸い殻や臭いなど責任もって当然であるが、そんな奴全くおらん。
そこまで出来ればあとは個人の問題だ。
しかし吸わない人々と吸う人々が一緒に存在する現状では実際には不可能である。
吸う人間は周りなど気にせず絶対吸おうとするのである。
吸うなと言えば余計吸う奴も多い。
つまりは結局全面禁煙にするしかないのである。
分煙にしても効果はないことが多い。新幹線の禁煙車に乗っていても空調を伝って
くさい臭い入ってくることも多い。
喫煙車の排気が禁煙車の吸気側に入ってくるのである。
喫煙者は火や吸い殻の始末かなり甘いのも喫煙者の常識?である。
どこでも吸う奴は当然どこでも捨てる。
携帯灰皿持っていればいつでもどこでも吸って良いという勘違いも多い。
駅の灰皿炎上しているのをよく見かける。それをなんとも思わないのか。
人混みのなかで平気で吸っているのも多々見かける。
大人がタバコを持って手を下ろすとちょうど子供の顔周辺にくるのだ。
子供が火傷するなど全く考えたことなどないだろう。
自分の子供を焼いてから気付くのか?いや、それでもやり続けるな。
ヘビースモーカーの某作家が喫煙について書いた文章見たことがある。
害毒についてはもはや反論の余地が無いので吸う権利の主張や吸って何が悪いといった
開き直りは全くなかった。
紫煙の行方を眺めつつ、文章を考える…など儀式めいた文章ばかりであった。
この辺は本職故、実にうまく書いていた(笑)。
声高に主張することは実際不可能であるので吸うことに肯定的な書き方をしようとすれば
そのような書き方にしかならないのだろう。
そうでなければ敗北宣言し、タバコ吸う罪を謝るしかないのだ(笑)。
喫煙車である営業車も異常だ。窓も開けずにガンガンやる。灰皿に吸い殻があふれ
閉らない…
よほどにならないと捨てもしない。こうなるとドアを開けるとイキそうになってしまうのだ。
ある喫煙者が言った。”あの車はタバコがきついな!”
何言うとんねん!お前もその中でおもっきり吸っとるやんけ!ホンマ笑わしよんな!
タバコ命の人々ここまで何人読むのか非常に気になる。カウントする方法はないか(笑)。
”節煙に協力を”の張り紙が。節煙とは珍しいな。灰皿も置いていない。
これだと普通は吸わないだろう。吸うなと言っても吸う奴はおるが。
中途半端に節煙とせず禁煙にしたらどうか?
煙草吸うために生まれてきたのではと思うような人々が多々存在する。
そういうのが数人まとまって入ってくると店の空気が一瞬で変わる。
文字通り雰囲気ではなく空気である(笑)。
当然一斉に点火。そして消した瞬間にまた点火。それの繰り返し。
昔はそれほど気にならなかったが今時の煙草は異常に臭いのだ。
味をつけるためにいろんな成分入っているためとされるがどうなのか?
飯屋、飲み屋、タクシーまたまた会社内でも狭い空間で吸われるとやたらと
鼻腔を刺激されてしまう。
花粉の季節は特に苦しい。
飲み屋が特に顕著であるが、ちょっと店にいると吸わない俺そのものが
異常に臭くなってしまうのだ。
酒臭いのと合体するとそれはもう最悪だ。
禁煙か分煙かどちらかにしないといけないという条例を神奈川県が作ろうとしたが
飲食店の反対によってつぶされてしまったことがある。
禁煙にすると客がこないという。
条例推進派、反対派いずれもこれが前提になっていたようだ。
ここで素朴な疑問がある。飯屋や飲み屋に客はタバコ吸うために来るのか?
そんな訳はないだろう。飲み食いするために来るのである。
タクシー業界でも同様である。
タクシー禁煙に反対する客がニュースで語っていた。吸える場所減ったので
吸うためにタクシー使うと。アホか!
昔と比べると吸う人間減ってきている。
逆に吸わない客はタバコが嫌で店に来ないということを考えたことはないのだろうか。
喫茶店では客の滞留時間長いこと多いため必然的に一人当たりの吸う本数も増える。
よって喫茶店にいくと喫茶店以外の飯屋より空気が悪くなる。
昼時にランチやっている店は多いが、そんな状況なので最近は喫茶店に行かない
ようにしている。飲み屋も避けることが多い。
完全に店内が禁煙となっても、吸うことが目的ではないため客が減ることはないだろう。
逆に避けていた客が戻って来ることも忘れてはいけない。
最初は反発して客減るとは思うが一時的でしかない。
飲み食いしたい客は絶対来るのだ。どうしても認められないなら家で飲み食いすればよい。
現に吉野家では全面禁煙となっている(店にもよるのか?)。
それでも普通に客が入っているのだ。
吉野家に来る客はタバコ吸わない人々だけか?そんなことはありえない。
店により時間指定し禁煙とするところ増えてきた。
いずれは全面禁煙となるのは間違いない。それがいつになるかだけのことである。
店内での喫煙が完全に禁止されている国もある。そこでは吸うため一旦店外に
出て吸うようである。
そういう例もあるのだから揉めたり、売上げが減ることもないだろう。
害があるのは誰でも知っている。
煙100%吸って(吐くのもダメ)、灰を出さず、火の始末を確実にし、くさい臭い
まき散らせなければいくら吸ってもらっても構わないのだ。
多額の税金を長年に渡り納めるのは多いに結構。
自分の出した煙、吸い殻や臭いなど責任もって当然であるが、そんな奴全くおらん。
そこまで出来ればあとは個人の問題だ。
しかし吸わない人々と吸う人々が一緒に存在する現状では実際には不可能である。
吸う人間は周りなど気にせず絶対吸おうとするのである。
吸うなと言えば余計吸う奴も多い。
つまりは結局全面禁煙にするしかないのである。
分煙にしても効果はないことが多い。新幹線の禁煙車に乗っていても空調を伝って
くさい臭い入ってくることも多い。
喫煙車の排気が禁煙車の吸気側に入ってくるのである。
喫煙者は火や吸い殻の始末かなり甘いのも喫煙者の常識?である。
どこでも吸う奴は当然どこでも捨てる。
携帯灰皿持っていればいつでもどこでも吸って良いという勘違いも多い。
駅の灰皿炎上しているのをよく見かける。それをなんとも思わないのか。
人混みのなかで平気で吸っているのも多々見かける。
大人がタバコを持って手を下ろすとちょうど子供の顔周辺にくるのだ。
子供が火傷するなど全く考えたことなどないだろう。
自分の子供を焼いてから気付くのか?いや、それでもやり続けるな。
ヘビースモーカーの某作家が喫煙について書いた文章見たことがある。
害毒についてはもはや反論の余地が無いので吸う権利の主張や吸って何が悪いといった
開き直りは全くなかった。
紫煙の行方を眺めつつ、文章を考える…など儀式めいた文章ばかりであった。
この辺は本職故、実にうまく書いていた(笑)。
声高に主張することは実際不可能であるので吸うことに肯定的な書き方をしようとすれば
そのような書き方にしかならないのだろう。
そうでなければ敗北宣言し、タバコ吸う罪を謝るしかないのだ(笑)。
喫煙車である営業車も異常だ。窓も開けずにガンガンやる。灰皿に吸い殻があふれ
閉らない…
よほどにならないと捨てもしない。こうなるとドアを開けるとイキそうになってしまうのだ。
ある喫煙者が言った。”あの車はタバコがきついな!”
何言うとんねん!お前もその中でおもっきり吸っとるやんけ!ホンマ笑わしよんな!
タバコ命の人々ここまで何人読むのか非常に気になる。カウントする方法はないか(笑)。
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