スターチルドレンその12024年02月15日 23時15分00秒

映画版ガンダム第1作主題歌のB面曲、スターチルドレン。
その歌詞には強い男と讃えられたいとある。
それを聴いて即座に、それってトランプのことやと思った。
そこから一気に考えが広がった。
アメリカ映画では俺が法律だと言う保安官や、やたらと威張り腐るようなのが出てくる。
それについてこれまで考えたことはなかったがそういうことかと納得した。
いや、理解したと言うべきか。
これまで直接、アメリカと接点があったわけではないが、確信したのだ。

国土の広さから、今でもアメリカでは警察呼んでもすぐに来ない地域あるという。
そこから西部劇の時代の状況を推し量るべし。
そのような状況で自分自身や家族を守れるのは自身のみ。
それらを守れる強さが生きるためには必須だったわけだ。
それが無いようでは生きていけない。
弱いのは死ぬだけで、生きる価値はない。

バックトゥザフューチャーでは、主人公の父親とそのパシリの関係が過去に行ってみると逆になっていた。
弱いとお前が弱いからだと斬り捨てられて誰の助けもない。
生きる権利すら認めないかのようだ。
すでに西部劇のような時代ではないが、今でもアメリカではそういう価値観が支配的だと思う。
そこでは強さがなによりも優先される。絶対的に。
絶えず強さを証明し続けないと、強いとみなされないらしい。
それでは何かの時に強さを示さないといけないし、時には己の強さに挑戦する者が現れる。

全く負けが許されないのだ。これはかなり厳しい。
それには、攻撃的な言動を続けるしかない。

ランボーでは、昔の戦友に会いに来たランボーをよそ者であるとして警戒し、不法で
極端な扱いをした結果、大暴れされるという結果となる。
よそ者警戒以前に、ここでは俺が法律だとランボーに見せつける=俺は強いと証明
するための行動だっとと思う。
制作者はそれを意識しなかったと思うが、無意識にそういうのが染みついていて
そういう話になったのではないか。
州によってはごつい銃を持っているのを見せつけることは合法であるらしい。
アメリカ人は力の信奉者であるのは間違いないが、銃はその象徴である。
日本人的感覚では、必要になれば力を行使すればよく、いつでもこれ見よがしに
する必要はないとなる。
しかし、アメリカでは強さを絶えず証明し続けないといけないのだ。
それが出来なくなった時点で弱いとみなされる=自身の存在価値の否定。
このような社会では生きるのはかなり厳しい。
強さにも色々ある。
腕力や経済力。政治力など。
その力があっても、ずっと証明し続ける必要があってそれは大変。
それが嫌ならアメリカから離れるのだろうが、そう考えるのはほとんどいないだろう。

何にでもアメリカが一番でならないとなる。
アメリカだけで完結していればそういう国で済む。
問題は他国に対しても、そういう態度をとって実力を行使することだ。

その2へ続く。