未完の敗戦その32024年06月21日 23時48分45秒

その2より続く。

いずれも人格否定ばかり。
社長自らそうである。
人はただのコストという発想なので、当然大事にしない。
そこで考えが止まていたのはすでに書いたとおり。
そんな折、出会った本がこれ。

未完の敗戦 001

未完の敗戦。
日本では何故人を粗末に扱うのかを考察した内容だ。
結論は大日本帝国主義というべき?
所属組織、最終的には天皇に命を捧げなければならないという考えが原因と結論。
実は買ってから、1年置いていた。
内容からして気分が良くなるなどあり得ないのは分かっていたからだ。
問題の先送りのような気がして、意を決して?読んだのだ。
予想どおり、読んでそうなることはなかった。
大いに納得できる内容だ。
特攻の記載もある。
志願の形をとっているが、当然ノルマある。
部隊編成の都合上ではなく、上からの命令に従うことが全て。
”国のために死んでみたいと思わないか”と言われたら断ることが出来ない。
”ノルマ”を達成しようとした連中はどう思ってやったのか?
良心の呵責はあったのか。それとも天皇のために死なせることに誇りを感じたのか。

断れば家族が”非国民”になるので、嫌でもやるしかない。
知覧の特攻記念館に行ったことある。そこでは特攻隊員の遺書がある。
それらはいずれも国のために喜んで死ぬという内容ばかりだ。
当時は検閲があり、本音を書くことは不可能だった。
実態は全く違ったということが本書では書かれている。
それを見られたら”非国民”になるのだ。
当時の”空気”は分からないが、容易に想像出来る。
非国民となると人権どころか生存権すら認められないということだ。
深く考えなくてもすぐに分かる。
国がそういうことを率先してやるのである。想像を絶する恐ろしさだ。

憲法問題も、日本人が書いてないから認めないのではなく大日本帝国憲法でないから認めない。
意味も分からずクリスマスなどと騒ぐ。
はるか昔から外来の物を受け入れて従来からあるものと、習合してきた。
仏教伝来など。
外来だから否定するのは無理がある。
それが良ければ、外来だから否定する必要はない。
むしろ、外来の物を喜んで受け入れてきたのだから。
外来の物を完全に否定し、従来からあるものしか認めないのであればクリスマス
なんか真っ先に否定せねばならないのだ。

本書では人を粗末にするのは何故かということが主眼として書かれている。
それを進めようとする勢力については軽く触れているだけだ。
そこに触れずに語れないから最小限ということと思う。
何とか会議とやら。

何とか会議が目指す大日本帝国主義になると、どうなるか。
宝塚などで、今でも上はそんなことで死ぬような奴が悪いと思っているだろう。
結局非を認めたが、誰も処分していない。
勝手に死んだのが、”指導”される原因を作ったとなる。
今は事実や非を認めないとか、隠蔽だがそれを正々堂々と主張するようになる。
こんなんが当然のこととなる。

本書で書かれていないことだがゴレンジャーの歌詞では、とっくに捨てたこの命とある。
大日本帝国主義ではそういう自己犠牲を強制されるのだ。
それがいかに素晴らしいかと宣伝されるようになるだろう。

その4へ続く。